序章:「卵を一つのカゴに盛るな」という常識への挑戦

投資の世界には、金科玉条のように語り継がれる格言があります。その代表格が「すべての卵を一つのカゴに盛るな(Don’t put all your eggs in one basket.)」、すなわち「分散投資」の勧めです。この考え方は、ノーベル経済学賞の受賞理論(現代ポートフォリオ理論)にも支えられ、金融機関が個人投資家に「常識」として説く、最も基本的な原則となっています。

しかし、本プラットフォームが探求する「集中投資」は、この常識に真っ向から異を唱えるように見えます。

ウォーレン・バフェットはかつてこう言いました。「分散投資は、無知に対するヘッジ(防御策)だ。自分が何をやっているかわかっている者にとって、それはほとんど意味がない」。さらに彼の盟友チャーリー・マンガーはもっと辛辣です。「我々の投資スタイルを『集中投資』と呼ぶのは適切ではない。我々は、合理的な『非分散』を行っているだけだ」。

彼らのこの強烈な自信は、単なる経験則や度胸から来ているのでしょうか? あるいは、彼らのような「偉大な投資家」だけが持つ特殊な才能なのでしょうか?

いいえ。実は、彼らの「合理的な非分散」=「集中投資」の背後には、冷徹な数学的合理性が存在します。それこそが、今回我々が深く掘り下げる「ケリー基準(Kelly Criterion)」です。

この記事では、もともとカジノの必勝法として考案されたこの数学的公式が、なぜ集中投資こそが長期的な富を最大化する王道であることを示しているのか、その本質を解き明かしていきます。


1章:ケリー基準とは何か? ―― ギャンブルから生まれた富の最大化戦略

ケリー基準は、1956年にベル研究所の科学者であったジョン・ケリー・ジュニアによって発表された論文に端を発します。彼は、情報理論(ノイズとシグナルの分離)の観点から、ギャンブルにおける最適な「賭け金(ポジションサイズ)」を決定する公式を導き出しました。

この公式が答えようとした問いは、非常にシンプルです。

「自分に有利な(エッジがある)賭けに、手持ちの資金の『何パーセント』を投じれば、長期的に見て資産の増加率を最大化できるか?」

これが、ケリー基準の核心です。

この公式は、後に天才数学者エドワード・ソープによってブラックジャックの攻略法に応用され、カジノを打ち負かしたことで一躍有名になりました。そしてソープ自身が、この理論を金融市場に持ち込み、世界で最も成功したヘッジファンドマネージャーの一人となったのです。

最もシンプルなケリー基準の公式を見てみましょう。

f* = (bp – q) / b

または、より直感的な形として、

f* = エッジ / オッズ

ここで、各変数は以下の通りです。

  • f*(エフ・スター): 賭けるべき最適な資産の割合(例:0.2なら資産の20%)
  • p: 賭けに勝つ確率
  • q: 賭けに負ける確率(q = 1 – p)
  • b: オッズ(Bet 1, Win b。つまり、賭け金1に対して得られる「純粋な利益」)

まだピンと来ないかもしれません。具体的な例で考えてみましょう。

【例:イカサマのコイン】

ここに、表が出る確率が60%(p=0.6)、裏が出る確率が40%(q=0.4)というイカサマのコインがあるとします。あなたは「表」に賭けることができます。オッズは「1対1」(b=1)、つまり100円賭けて勝てば100円の利益が得られ、負ければ100円失います。

あなたはこの賭けに「エッジ(優位性)」があることを知っています。では、手元の資金10万円のうち、1回のトスにいくら賭けるべきでしょうか?

  • 慎重すぎるAさん: 「エッジはあるが、リスクは怖い。毎回1%(1,000円)だけ賭けよう」
  • 攻撃的すぎるBさん: 「絶対に有利だ。毎回50%(5万円)を賭けよう」

Aさんの戦略では、資産は増えますが、非常にゆっくりです。Bさんの戦略ではどうでしょう? たとえ勝率60%でも、40%の確率で裏が連続して出ることは(特に短期では)頻繁に起こります。もし2回連続で裏が出たら(確率 40% × 40% = 16%)、彼の資産は 10万円 → 5万円 → 2万5千円 となり、破産寸前です。

ここでケリー基準の登場です。

  • p = 0.6 (勝率)
  • q = 0.4 (敗率)
  • b = 1 (オッズ)

f* = ((1 x 0.6) – 0.4) / 1 = 0.6 – 0.4 = 0.2

答えは「20%」です。

ケリー基準は、1回の賭けに全資産の20%(この場合は2万円)を投じることを推奨します。そして重要なのは、次の賭けでは「変動した後の全資産の20%」を賭け続けることです。

もし勝てば、資産は12万円になります。次の賭け金は12万円の20%=2万4千円です。もし負ければ、資産は8万円になります。次の賭け金は8万円の20%=1万6千円です。

このように、ケリー基準は資産の増減に合わせて賭け金を自動的に調整する「複利」のシステムであり、数学的に「長期的な資産の幾何平均リターン(※)を最大化する」ことが証明されています。

(※)幾何平均リターンとは:「100 → 200 → 100」となった場合、算術平均リターンは「+100%と-50%の平均で+25%」ですが、実際の(幾何平均)リターンは「0%」です。投資の長期的な成功は、この幾何平均で測る必要があります。ケリー基準は、この「実際の」リターンを最大化します。


2章:ケリー基準が「集中投資」を数学的に支持する2つの理由

さて、このギャンブルの公式が、なぜ我々の「集中投資」の根幹に関わるのでしょうか。それは、ケリー基準が導き出す結論が、従来の分散投資の常識と正反対の行動を要求するからです。

理由1:「エッジ」があるなら、大胆に「集中」せよ

先ほどのコインの例に戻りましょう。ケリー基準は「資産の20%」という、かなり大きなサイズを推奨しました。これが、もし勝率70%(p=0.7)、オッズ1対1(b=1)の「超」有利な賭けならどうでしょう?

f* = (1 x 0.7) – 0.3) / 1 = 0.4

実に「40%」です。

もし、あなたが100銘柄に分散投資をしていたとします。それは、個々の銘柄に対するf*(最適ポジション)が平均1%だと判断していることと(無意識的にせよ)同義です。それはつまり、どの銘柄にも「ほとんどエッジがない」と白状しているようなものです。

集中投資家は、この考え方を逆転させます。

彼らは、自分が理解できる「能力の輪」(第17週で詳述)の中で、徹底的なリサーチ(第12週の「スカトルバット」など)を行います。そして、市場が見落としている圧倒的に有利な投資機会(高いpと高いbを持つ「ファット・ピッチ(絶好球)」)を見つけたと確信したとき、彼らはケリー基準の論理に従い、そこに資金を「集中」させます。

バフェットがアメックスやコカ・コーラに、ポートフォリオの30%や40%を投じたのは、まさにこれです。彼は、その投資における「エッジ」が、他の凡庸な投資機会とは比較にならないほど巨大であると数学的に(そして直感的に)理解していたのです。

ケリー基準は、小さなエッジには小さな賭け金を、巨大なエッジには巨大な賭け金を要求します。これこそが集中投資の数学的定義です。

理由2:「エッジ」がないなら、一切「賭けるな」

ケリー基準の公式をもう一度見てください。

f* = (bp – q) / b

もし、この分子である (bp – q) の値が「ゼロ」または「マイナス」だったらどうなるでしょうか?

(bp – q) は、その賭けの「期待値(Expected Value)」を表します。

  • 例えば、勝率50%(p=0.5)、オッズ1対1(b=1)の公正なコイン投げの場合:

(1 x 0.5) – 0.5 = 0。 f* = 0 です。

  • 勝率40%(p=0.4)、オッズ1対1(b=1)の不利な賭け(ルーレットなど)の場合:

(1 x 0.4) – 0.6 = -0.2。 f* はマイナスになります。

ケリー基準が導き出す f* がゼロ、あるいはマイナスの場合、それは「賭けてはいけない(最適ポジションはゼロ)」という明確な指令を意味します。

これは、集中投資家の行動哲学と完全に一致します。

  • 市場平均(インデックス)への投資: これは、市場全体としては「エッジがない(f*=0)」賭けに参加することとほぼ同義です(手数料を考えればむしろマイナスです)。
  • 「分散のため」の投資: 自分がよく理解していない(エッジの有無を判断できない)銘柄や、分析したが「まあまあ」としか思えない銘柄(エッジが小さい、あるいは無い)に資金を投じること。

ケリー基準は、このような「エッジのない賭け」を厳しく禁じます。それは長期的な幾何平均リターンを毀損するだけの「ノイズ」だからです。

チャーリー・マンガーが言う「合理的な非分散」とは、まさにこれです。「我々は、自分がf* > 0(明確なエッジ)だと確信できるものだけに賭ける。それ以外(f* ≦ 0)のものは、どれだけ魅力的に見えても、あるいは『分散のために』と言われようとも、ポートフォリオから除外する」という宣言なのです。


3章:ケリー基準を「投資」にどう応用するか?

しかし、ここで現実的な問題に直面します。投資は、コイン投げのように確率(p)やオッズ(b)が明確ではありません。

「ある企業の株価が2倍になる確率が60%で、半値になる確率が40%だ」などと、どうして断言できるでしょうか?

これはケリ-基準を投資に応用する際の最大の難関であり、多くの人が「ケリー基準は机上の空論だ」と批判する理由でもあります。

ですが、偉大な投資家たちは、これを「厳密な計算式」としてではなく、「最強の思考モデル」として活用しています。

ステップ1:「確率(p)」を「自信の度合い」に置き換える

投資における「勝率(p)」とは、あなたの分析が正しい確率、すなわち「自信の度合い」です。

  • pが低い状態:
    • そのビジネスモデルを理解していない(「永続的な競争優位性」の分析が甘い)
    • 経営者の質が信用できない(「経営者の”質”」の分析が不十分)
    • 自分の「能力の輪」の外側にある
  • pが高い状態:
    • 長年の徹底的なリサーチに裏打ちされている
    • あらゆるストレステスト(「確証バイアスとの闘い」)を経ても、投資仮説が揺るがない
    • その業界と企業を「知り尽くしている」という確信がある

ケリー基準は、この「自信の度合い(p)」が低いものに大きな資金を投じることを固く禁じます。

ステップ2:「オッズ(b)」を「リスク・リワード比」に置き換える

投資における「オッズ(b)」とは、その投資のリスク・リワード比です。これは「安全域(Margin of Safety)」(第26週で詳述)の概念と直結します。

  • b = 期待されるアップサイド(利益) / 想定されるダウンサイド(損失)

例えば、ある企業の価値を(DCF法などで)分析した結果、その本源的価値は1株100ドルだと結論付けたとします。

  • ケースA: 現在の株価が90ドル
    • アップサイド: 10ドル(100 – 90)
    • ダウンサイド(例えば、不況時の最悪のシナリオ): 70ドルまで下落すると想定(損失20ドル)
    • オッズ(b): 10 / 20 = 0.5
    • これは「割に合わない賭け」であり、オッズが低すぎます。
  • ケースB: 市場のパニックで、同じ株が50ドルで売られている
    • アップサイド: 50ドル(100 – 50)
    • ダウンサイド(最悪シナリオ): 40ドルまで下落すると想定(損失10ドル)
    • オッズ(b): 50 / 10 = 5.0
    • これは「リスク1に対してリターン5」という、非常に歪んだ(有利な)オッズです。

集中投資家は、ケースAのような投資は(pが高くても)見送ります。そして、ケースBのような「オッズが著しく有利(bが非常に高い)」な瞬間が訪れるのを、忍耐強く待ちます(第25週「忍耐は美徳なり」)。

ケリー基準の思考モデルとは、「高い自信(p)」と「圧倒的に有利なオッズ(b)」が交差した稀有な瞬間にのみ、資金を大きく(高いf*)投じる規律そのものなのです。


4章:ケリー基準から学ぶべき「最大の教訓」と「致命的な注意点」

ケリー基準は、集中投資家にとって最強の武器となり得ますが、同時に最悪の凶器にもなります。この理論から我々が学ぶべき真の教訓と、絶対に守るべき注意点を整理します。

教訓:「自信」と「ポジションサイズ」を連動させよ

ケリー基準が我々に叩き込む最大の教訓は、「あなたのポートフォリオにおける各銘柄の比率は、その投資に対するあなたの『自信(p)』と『オッズ(b)』の積(=エッジ)によってのみ決定されるべきである」という原則です。

  • なぜ、その銘柄をポートフォリオの3%しか持たないのですか?
  • なぜ、あの銘柄は20%も持っているのですか?

その答えが「なんとなく」や「分散のため」であってはなりません。ケリー基準は、その配分比率に対して、数学的な説明責任を要求します。

注意点1:入力値の罠(GIGO)と「確証バイアス」

ケリー基準は、入力されるpとbの値に極めて敏感です。もし、あなたが自分の分析能力を過信し(第22週「自信過剰の代償」)、pやbを楽観的に見積もりすぎた場合、ケリー基準は「過剰なリスク(大きすぎるf*)」を取るよう命じ、あなたを破滅に導きます。

自分の仮説を「積極的に疑う」(第14週)訓練を怠り、希望的観測をpやbに代入した瞬間、ケリー基準は毒に変わるのです。

注意点2:破滅的なボラティリティと「分数ケリー」

これが実務上、最も重要な注意点です。

数学的に導かれた「フル・ケリー(f*の値を100%そのまま使う)」は、長期的なリターンを最大化する一方で、その過程で発生する資産の変動(ボラティリティ)は、人間が精神的に耐えられる限界をはるかに超えることが知られています。

先ほどの勝率60%のコインの例(f*=20%)ですら、短期的には資産が半分以下になるようなドローダウンを経験する可能性があります。

だからこそ、現実の投資家は「部分ケリー(Fractional Kelly)」を用います。

これは、ケリー基準が算出したf*の「半分(ハーフ・ケリー)」や「3分の1」といった、一定の割合のみを実際に投じる手法です。

  • ハーフ・ケリー(f x 0.5*:
    • 長期的な幾何平均リターンは、フル・ケリーの約75%程度に低下する
    • しかし、ボラティリティ(リスク)はフル・ケリーの半分に激減する

多くのプロの投資家やギャンブラーは、リターンのわずかな低下を受け入れる代わりに、リスク(精神的苦痛と破滅の確率)を劇的に下げる「ハーフ・ケリー」を好みます。

バフェットが「破産しないこと(ルールNo.1: 損をしないこと)」を最重要視するのも、この数学的真実を理解しているからです。エッジがあるからといって、無謀な(フル・ケリーに近い)賭けをすれば、一度の不運で市場から退場させられるリスクがあることを知っているのです。


結論:ケリー基準は「規律」を求める思考モデルである

「集中投資の数学的裏付け」として紹介したケリー基準。それは、あなたの投資判断を自動化する「魔法の計算機」ではありません。

ケリー基準は、我々集中投資家に対して、以下の厳しい問いを突きつける「思考のフレームワーク」であり、「規律の源泉」です。

  1. あなたはその投資に、明確な「エッジ」を見出しているか?

(pとbを定量的に説明できるか?)

  1. もしエッジがないのなら、なぜ1円でも投じているのか?

(「何もしない」という最適な選択肢(f*=0)を選べているか?)

  1. もし明確なエッジがあるのなら、なぜ「十分な量」を投じていないのか?

(小さなポジションで満足し、最大の好機を逃していないか?)

  1. そして、そのポジションは、あなたの過信(入力値のミス)によって、破滅的なリスクを抱えていないか?

(「部分ケリー」の知恵を用い、謙虚さを保っているか?)分散投資という「無知へのヘッジ」を捨て、集中投資という「知への賭け」を選ぶ我々にとって、ケリー基準は、自らの「知」を厳しく律し、それを「富」へと変換するための、最も強力な羅針盤となるのです。